板橋エスペラントクラブ

エスペラント語は1887年にポーランドの医師ザメンホフによって創案された国際補助言語です。ヨーロッパの言語をベースにした単語、シンプルな文法、わかりやすい発音が特徴の、学びやすい言語です。世界で100万人の話者がいると推定されています。わたしたちは、毎月第1・3土曜日、東京都板橋区成増でエスペラント語を学んでいます。言語、国際交流に興味のある方一緒に学習しませんか?

55.2019年を回顧する

 2019年が終わろうとしています。巷間今年のニュースまた新語等々来しかたをまとめるのは自身の喜怒哀楽はさて置いて、みずからかかわる社会活動関連分野事項が眼につけばこれは大いに関心を持つことになります。しかし、こういう観測または世論調査については信憑性についてとかくの議論がある、ことも事実。

 ことしのエスペラント活動について一瞥してみました。
 まず世界では国連ユネスコ機構が2019年のテーマとして、『世界の少数民族言語年』を標榜しました。日本大会はことしは第106回として浦和市で行われましたが、大型台風(19)のため交通機関の乱れがあった結果全三日行程の内初日不実施、2日目午後より最終日にかろうじて実施するというみじめな結果に終わりました。しかし大会テーマは『エスペラントがひらく世界~わかりあいのその先へ』であり文字通り内容は三日分を半分の日数に凝縮した意義ある大会でした。


 本年は日本エスペラント協会が創立してちょうど100年になります。本会創立前に個々に地域活動していたグループがすでに6年ほど会合をもっていたのを7年目に大同団結のため本協会が設立されました。大会の回次については106回となっていますが、唯一1945年のみ行われませんでした。毎年夏後半から秋にかけて実施していたのですが、この年は第二次大戦で、日本が屈辱的な敗北を喫して終結した直後であり、国民生活は日日の糊口を糊するに忙しくそれどころではありませんでした。当時の国鉄は戦災後弱体化した輸送力の低下のもとに、戦地の旧兵士・満蒙大陸。中国本土等からの引揚者を無償でそれぞれの故郷へ送りとどけてやることでした。筆者もその一人でありました。其のため一般市民が非日常的移動の場合は町会長の移動許可書がなければ乗車券を購入することができませんでした。

本年はもう一つ悲しい記念の年でもあります。エスペラント創設者ザメンホフの孫L.Cザレスキー・ザメンホフ(LCルイ・クリシュトフ)(1925-2019)が死去されたことであります。父君L.Lザメメンホフとともにエスペラントのk発展の足跡をみとりつつ、昨今では一段とエスペラント普及活動に熱心でありました。
彼は『ザメンホフ通り』原書房・訳者小林司・青山徹・中村正美監訳゜ー2005.1初訳ーを著した人物で、文中トレブリンカ収容所に搬送されようとしているときに知人ドイツ人の医師により同朋の死体運搬車につみこまれ、放置された墓地より脱出した。 
そして、ゲットーにもどりにせパスポートを入手して当面近郊に移住して戦後世界平和を迎え、こんにちを迎えた人であります。死体運搬車より脱出し、こんにちまで息ながら得た人であります。世界のエスペラント界としては創始者ザメンホフとともに是非銘記すべき人物であります。

 最後に当会もまた、会員が増え、異材も入会して、今後の当会の発展にオオイに期待できる陣容ができたと信じております。
本文を読まれた方は是非オブザーバー=:observantoとしてお越しください。