1887年(明治20) ユダヤ人ザメンホフがエスペラント語を発表
1905年(明治38) 第一回世界エスペラント大会(フランス)
1906年(明治39) 第一回日本エスぺラント大会
1908年(明治41) 世界エスペラント協会設立
1919年(大正8) 日本エスペラント学会設立(現協会の前身)
1923~27 日本をはじめ各国でラジオ放送始まる
1938年(昭和13) ヒトラー政権下のドイツでエスペラント禁止
1939年(昭和14) 日本・治安維持法の発動で弾圧はじまる
1940~46年 世界エスペラント大会中止
1944年(昭和19) 日本エスペラント大会中止
1987年(昭和62) 第100回世界エスペラント大会 ゆかりの地
ワルシャワで開催
2018年(平成30) 8月第103回世界エスペラント大会(ポルトガル
・リスボン)
10月第106回日本エスペラント大会(奈良市)
日本・月刊機関紙『エスペラント』1155号
(7月号)発行
これが私たちの大まかな活動の軌跡です。こまかく書けば
この活字でA-4版でゆうに3枚では足らないと思います。
私たちはエスペラント語を国際補助語というと同時に民際語
とも呼んでおります。この運動の歴史にも当然時代やイデオロ
ギーの波に洗われたというか襲われました。エスペラント語は
文字通り世界の言語境界線を突き破って政治的・軍事的に非友
好国であっても関係なく交信できます。第一次大戦から第二次
大戦の終末にかけては、わが日本はエスペラントの最盛期とい
うか黄金期ともいえる時期がありました。いわゆる大正デモク
ラシーの時相とかさなります。
それからナラクともいえる弾圧の時代が続きました。しかし、
上記簡易年表にもあるとおり、日本は1944年を除いて綿々とし
て全国大会を開いてきております。大正年間後半期はおよそ
文筆家はもちろんインテリから労産農階級にいたるまでひろく
エスペラントが一種の流行となった時期があり、当時は教科書
にも取り上げておられたこともあって、こんにちとは想像もで
きない、一時期がありました。国の内外で起きた弾圧の理由は
スパイ容疑です。当時はすでに電信電話がありました。時の敵
国であってもエスぺランチストは友達です。いくらでも交信で
きるのです。権力はそれを懸念したのだろうと思います。
エスペラント界の全容の一端を知って貰いたくて縷々書きま
した。ココロは、いままでも書き上げてきたとおり、こういう
活動をしている会ですよ、ぜひ入会、いや門をたたいてくださ
い、と訴えたいのです。
きたる2019年は日本がエスペラントの組織的活動を始めてち
ょうど100年になります。会員増強運動を展開しています。
読んでくださっているみなさん、ぜひ扉をたたいてください。
お待ちしております。
きょうは、このへんで。次回は大正時代にはどれだけの知名人が
エスペラントをやっていたのか、紹介します。